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「言霊 」カテゴリ記事一覧


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言霊(ことたま)- 君死にたまふことなかれ-

先日、高校生のお子さんをお持ちのクライアントの方が寂しげに、「うちの子の中学校時代の同級生の子が亡くなったんです・・」「しかも自ら・・」絞り出す様に話しをされました。
昨今、テレビのニュースなどでも自殺が低年齢化していることが度々取り上げられています。現実問題として社会環境の悪化、雇用問題などにより社会全体での自殺が増加しているのも悲しい現実です。
”人は何故死に魅入られるのか?”自殺という話を聞く度にいつもそう思ってしまいます。辛すぎる現実から逃れたい、死ねば今の現実よりも楽になるのではないか?そんな悪魔の囁きに負けてしまうのでしょうか。
残念ながら霊学的に自ら死を選ぶのは最大の罪・穢れ(けがれ)であり、神道的に言っても肉体は父母から戴いたもの、魂(霊)は神から授かったものです。
人としての現世で戴いた肉体は借り物の姿であり、いわば神からのレンタル品であると言うことです。
レンタル品であれば当然、時が来ればお返ししなければなりません。その際に肉体は両親に感謝、そして与えられた使命において、生涯をかけて魂磨きをした人には次のステップへと上がっていく。これが本来、人の死なのです。
その際にちゃんと人生を生ききった人には次なる人生が待っているというのが、生まれ変わりだったりするのです。中には使命を全う出来ず、何度も同じ様な境遇で生まれ変わる人も居るでしょう。何で俺ばっかり!と自らを嘆く人などはその一例だと思います。

以前、雑誌の記事で、安易な心霊番組があの世や来世があることを子供達に期待させ、青少年の自殺が増えた。みたいなことを書いた記事を目にしたことがあります。これこそ本末転倒、あの世や来世があるのは、あくまでも人生を「生ききった」人だけなのです。自ら命を絶った人に関しては、あの世にも、この世にも残れない、漆黒の闇だけが存在する”無間地獄”へと堕ちていくのです。楽になるどころか、右も左も何も存在しない、あるのは永遠の苦痛だけ。そんな所に押し込まれてしまうのです。

我々がこの世に生を受け世に出るには大きな意味があるのです、本人が気付くか気付かないかに関係なく、使命を持ち何処かの誰かに、直接的・間接的に影響を与えているのです。自ら命を絶つとはその流れを止めることとなるのです。
命は自分だけのものにあらず、世に出でて後は、関わった人、全ての人生に関わっているのだということを知って欲しいのです。親より早く逝くことが最大の親不孝です。ましてや自らなんて、一番選択してはいけないことです。
「君死にたまふことなかれ」誰かがあなたを見ているのです、そして関わっているのです。
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言霊(ことたま)-メールで告るな若者よの巻-

先日、クライアントの女子高生がチョイと落ち込んだ様子で私にこう話し始めました。「せんせ、告ってリアクション無いって事は振られたってこと?」と、おいおい、オッサンにそれ聞くなよと思いつつも、「告ったときの反応は?」って聞くと「分からない」と言うので、よくよく聞いてみるとメールで告白したとのこと。返信が無く2日間黙って待っているというオチでした。
大事な話をよくもまぁメールで済ますなぁと思いつつ、ふと、私の学生時代と今の子達の何が変わったのだろうか?と考えてみました。そして、当時と明らかに変わったのはやはりツールです。
”携帯電話””ゲーム機””パソコン”この新家電三種の神器の登場が、我々の学生時代とは大きく違う要素です。
この三つの登場が子供達の「勇気?」「想像力」「感性」を無くす遠因となったのです。何でもそうですが、直接的に一つの物事だけが原因となっているものなど無いのです。少なからず、新家電三種の神器登場が様々に我々世代の子供達と違った影響を作ったのは確かだと思います。
猟奇的殺人が起こるとすぐにゲームの影響だと騒ぎ立てる人々がいますが、ゲームをやっている子供達と起こっている殺人の数を考えれば、そーでもないことが分かります。寧ろ、ゲームの弊害は子供達の”包括的想像力の欠如”を生んだことでしょうか。
例えば、我々世代に好きな子が出来たとして、告白やデートをする際には幾つかのハードルがありました。思いを伝える手段としては”手紙””電話””直接告白”位しか無かったでしょうか。特にハードルが高かったのが、”電話”でした。何故なら、電話をかけるということは”父親””母親”のどちらかと会話をしなければならないからです。当時は子供達の部屋に電話があることが少なく、家の電話にかけるしか方法が無かったのです。これがまだ電話に出るのが、母親ならば、若干ハードルは低くなるのですが、父親ならば刑事ばりの尋問があり、それをかいくぐらなければ、目的の彼女に告白することすら出来なかったのです。もっとも告白して上手く行くかどうかは別問題ですけど・・
当時の男子として必要なスキルは①親と喋れる最低限の礼儀②親が近くにいることを想定しての手短な約束の取り付け③打たれ強い精神力位でしょうか。
今は携帯で直接本人と喋れますし、親の干渉も入りません。喋るの苦手ならメールで告白すれば良いでしょう。
私なら今でも絶対にメールや携帯では告白しませんけどね(爆)
しかし、先日のブログにも書いたのですが20代の男女共、彼女彼氏が居ないのが50%を越えているとのこと。簡単に告白出来るツールもあって、私から言わせれば何で?って思うのですが、それが現実なのです。
何故か?と考えると、その答えは便利なツールにもあるのではないかと思えて仕方ないのです。今、20代の世代はドップリ三種の神器世代ですので、思春期の頃は既にツールによる告白を行っているはずです。一週間位落ち込む様な、直接的失恋の痛手も余り無く、振られる方も振る方も、メールの返信での回答だけって、何だかバーチャル過ぎて実感が湧かないのです。全部の若者がそうだとは言いませんが、50%の居ないという男女の理由が”傷付くのが嫌だから”なのだそうです。
我々の世代から言わせればチャンチャラ可笑しい、へそで茶を沸かす位の話しです。我々が当時よく話していたのが、彼女を作るまでが楽しいんだ!と、その子がどういう性格で、どんなことに興味を持っているか、どんなシチュエーションで告白すれば良いか等々、落とすまでの段取りを考えOKをもらうまでが楽しくて、彼女になったら何だかCOOL DOWNしてしまうといった、まさに狩りが、生き甲斐(女性の方スイマセン)!の”超肉食系男子”だったわけです。振られた数は勲章の様なもので、振られた分だけデータは蓄積出来るので、このタイプの女の子にはこういう攻め方、このタイプはこういう引き方など、色々な駆け引きを教えて戴きました。その当時お付き合い戴いた皆さん、本当に有難う御座いました(爆)

現実の世の中に生きている限り、人付き合いは切っても切れない重要な要素です。人にぶつかれば必ず摩擦は生まれます、それを障害と考えるのか、ステップと考えるかは受け手の気持ち次第です。
自分磨きなんて言葉が最近よく言われますが、自分を磨くのは本やネットでの知識では無く、他人と関わりその人達と真剣にぶつかった時に生まれる摩擦こそが、最大の自分磨きなのです。ダイヤモンドを研磨するのはダイヤでしかないのです、人間を磨くのはやはり人間!恐れず摩擦を楽しむことが大きな力になると信じています。
メールも良いけど、たまには正面切って相手の目を見て心臓バクバクさせて告ってみてはどうだろう?
生きている実感はやはり本物からしか味わえない、ぶつかっても壊れはしない、心は叩かれて立ち上がる度に強くなるのだから。彼女彼氏の居ない若者よたまにはノーガードの打ち合いをしても良いのでは?
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言霊(ことたま)- 水火伝 水之巻一

このブログ言霊(ことたま)と言う言葉が数多く出て来ますが、これは私の臨床家としての最終目標である、「触れずに」或いは「言の葉」で施術をするという目標において欠くことの出来ない重要な要素の一つだからこそ、度々出て来ているのです。
「触れずに」に関してはうちの師匠はその域に達しておられ、実証もされているので、私は「言霊」を自分なりに紐解き、臨床に生かそうと日々、四苦八苦しております・・・私がこの「言霊学」の参考書とさせて戴いているのが、言霊学の祖と言われている「山口志道(1765~1842)」の著した、「水穂伝(みずほのつたえ)」です。
徳川10代将軍、家治の治世に生まれ、幕末の混乱期を生きた人と言えます。時代が変革期を向かえ、諸外国からの圧力を感じる中で、日本人のアイデンティティーを目覚めさせるべく、書いたものです。
この志道の「水穂伝」が後に世紀の霊能者にして預言者、大本教出口王仁三郎に大きな影響を与えるに至るのです。

この「水穂伝」の中には目から鱗の記述が数多くありますので、今後も折を見ながらご紹介出来ればと思っております。
「水穂伝」には”火(か)と水(み)”が神であり、重要なのだと説いています。
「人に井(シオミズ)の水の灵搦(タマカラ)をもて、ミツカラ(自)と云。井搦(ミツカラム)の義なり。カラダ(体)とは、搦灵(カラタ)の義なり。」灵(たま)とあるのは霊のことです。ザックリとした意味は「人に井(潮水(塩水))の水の霊搦(たまから)を持って、自らと言う」→これは”自ら”(自分)と言う言葉を”言霊”で説いています。塩水は羊水と同意語であり、ものの誕生・生まれることを意味します。霊搦とは霊と密接に結び付くことを言います。「人が塩水(潮水)の霊と結び付くことで、水搦(みずから)=自らとなる。」人間とは水(羊水)から生まれることと、体とは霊(たま)が密接に絡んで誕生することから、搦霊(からたま)=からた=体となったと言うことです。
人の身体は海水(塩水)の希釈物でもある羊水の中で育まれ、世に出て行くというのを教えているのです。

この井(シオミズ)は毛を生す、人間に始めて生える毛が回毛(つむじ)である。
この”つむじ”こそが、御霊である。だから”頭”のことを「天(あ)窓(たま)」と言い、「天(あ)灵(たま)」の意味である。
参拝して一礼するのも、”つむじ”を神に向かい合わす意味を持っており、”つむじ”に御霊が宿り、それを神に向けることで、挨拶をするというのが、本来の一礼の意味のようです。
参拝時に”鈴”を鳴らしますが、そのものもが”御霊”であり、この鈴の云い名は「ススク(キ)」と言い、己の穢(けが)れを「スス(ク、キ)」の意味になります。我々が意味も分からず儀礼的に行っている物事にも実は隠された意味があり、それを理解して行うのと、分からずに行うのとでは大きな違いがあるのでは無いでしょうか。
そう考えると、明日から神社でお参りする際も、しっかりと”つむじ”を見せ、鈴を鳴らし、神様にご挨拶が出来ると思います。
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言霊(ことたま)-せんせ、連れて来ちゃいました

昨日のブログと若干かぶるのですが、私の処にいらっしゃる不思議様のお話を今ひとつ(一応、本人の承諾は得ております)・・・
人の身体に接触する仕事をなさっていらっしゃる方々は、昨日も書きました様に、良いモノも悪いモノも全て受け容れる腹積もりがないと出来ない旨を書きました。当然、来院されるクライアントの方々も同様に何かをしょって来られるわけです(痛みや悩みなど)。
通常、我々の処へ来る方々は痛みをどうにかして欲しいとか、動ける様にして欲しいなど、身体或いは心の救いを求めて来院されるわけですが、ごくまれに意識・無意識で違うモノを引き連れてくる方がいらっしゃるのです。意識・無意識と書いたのは、明らかに確信犯的に連れてくる方と、全く分からず連れてくる方といらっしゃるからです。
興味深いのは、「せんせ、私何かが憑いているみたいなんです!」と言う人ほど何も憑いていないということでしょうか。首や肩が重い・・中々楽にならない=何か憑いてる、という雑誌やネットなどの情報から単純に憑いていると思い込んでいる「思い込み型憑依」とでも言われる方が圧倒的なのです。
みたててみると、その殆どは単純な疲れや、ストレスから来る気持ちの落ち込みだったりと、様々ですが、何も問題ありません。大概こちらが大丈夫だよ!問題無いから!って背中を押してあげれば、殆どの方が元気を取り戻し帰って行かれます。

ごく希に、本当にえらいモノを引き連れてくる方がいますが、そういう方に限り状況を全く分かっていらっしゃらないというのも対照的で不思議な感じがします。そういった凄いモノを連れていらっしゃる方達の共通項としては、施術の最中に「強い光」を感じるということでしょうか。
感覚をききわけて戴いている際に、強い光が身体の中から出ていったり、逆に入っていったりと違いはありますが、「強い光」というのは共通している要素の様な気がします。この現象に関して知人の方に聞いてみたところ、「光は神の象徴だから、ある意味成仏出来、上(天界)に上がられたと言えるかも」とのこと。うちの師匠の処にもある方(知人(笑)ですが)の身体を借りて成仏したい方達が色々と来るとのこと。その度に”黒い蛇”やらとんでもないモノが出て来るそうです。この方は完全に確信犯ですけど(笑)
古傷や慢性通は”過去世””前世”の影響によるものもあり、私自身、操体の臨床を通しながら様々な経験をさせて戴きました。操体の臨床は自身の身体との対話であり、クライアント自身の心や身体の深部へとアクセスし、忘れ去られた身体の記憶を辿る壮大なる「グレート・ジャーニー」なのです。さながら我々臨床家は冒険旅行の案内人とでも言うべきEXPLORERでしょうか。個人的には『インディアナジョーンズ』好きなので、アークを捜しに行こうかと・・・お後が宜しくは無いですが、終わりにしようかと。。
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言霊(ことたま)-私見えるんです・・

先日、初見のクライアントが私の顔を見るなりいきなり、「せんせ、あたし・・見えるんです。。( ̄ー ̄)ニヤリ」みたいなリアクションをとられました。説明しときますと、私の研究所はあくまでも操体の研究所であって、決して”心霊研究所”では無いのです。何だか同じ匂いを感じられるのかどうかは分かりませんが、以前から、やたら挑戦的なクライアントの方がいらっしゃるのです。どーだ!みたいなノリでいらっしゃいましても、私自身、現在は全くみえない(霊体)のでリアクションのとりようが無いというのが現状なのです。
この業界に入る以前は、サービスエリアで仮眠をとってる最中に胸の上に女性が正座をして乗っかっていたり、歩いていて肩をどつかれたりと、細かいことを入れると様々な経験はしました。
この臨床家という職業に携わることとなって、一ヶ月目は死ぬかと思う位の経験もしました。よく考えれば、他人様の身体に触れ、良くも悪くも色々なモノを貰いますので、腹を括らずに出来る仕事ではないのです。私の場合はその時にご縁を戴いた方から、「貰わない予防方法」「霊障が起きない自分作り」を教えて貰いました。予防法は思いの外効き目があり、やり出して数日で偏頭痛や全身の倦怠感等は無くなりました。
そして、今回のタイトルにもなっている、”見えるんです”系の人々が行うべきが、「霊障が起きない自分作り」なのです。いわゆる”見える人””見えない人”との違いは?とよく聞かれるのですが、それは、アナログの携帯電話とデジタルの携帯電話の違いだと思って下さい。本来なら受信出来ない周波数帯を受信してしまう感度の人が居るのです。
それも”低級霊や地縛霊”等の関わらない方が良いモノを受信してしまう。それが良いか悪いかと言われれば、明らかに良くはないのです。心は不安定になりますし、あの世とこの世の境が曖昧になるというのは”生”に対しての執着が薄くなり、”死”に対しての抵抗感も希薄になるからです。

ここで少し仕事に戻ると、身体の歪みが酷い方”霊障”もおこしやすい傾向にあるようです。軸のぶれと生命エネルギーは相関性が強く、軸がぶれることで本来通うべきエネルギーが滞り、その滞った場所から体内へと余分なエネルギーを引き寄せてしまうのです。入りやすいと言われるのが、頸椎の七番、肛門、膣などと言われています。ですから、不特定多数の方が出入りする様な公共施設のトイレなどは女性にはリスクが高いとも言われます。
まぁ、早い話が”歪み”をとりつつ、「霊障が起きない自分作り」を如何にするかが、鍵なのです。”歪み”操体にお任せとしても(笑)、「霊障が起きない自分作り」はどうすれば良いのか?
答えは「今の与えられた物事を全うする」ということです。へ?って言われそうですが、仕事なり趣味なり、自分が一日の時間を通して一番長い時間をかけている物事を確実にこなして行くことと、その中で自分自身を磨いていくことです。とってもベタ過ぎて、拍子抜けする人も居ますが、人がこの世に生を受けたことは必然であり、気付く・気付ないに限らず、何らかの使命を持って生きている訳です。その中において仕事はその要素が最も高いと言えます。
今、携わっている仕事に全力を注ぎ、己を磨くことこそ、最上のレベルアップであり、次の段階へ上る切っ掛けへとなって行くのです。
自己を確立している人は、レベルの高い波動を持ち、”禍々(まがまが)しきモノ”が入り込む余地が無いのです。
ですから、「見える」方とはある意味では、悪いモノにつけ込まれやすい弱さも兼ね備えていることでもあり、決して良い状態にあるとは言えません。自分を磨くとは自分を守ること、レベルが変わると見える色が変わり、やがて見えていたモノが見えなくなる。それがの成長なのです。自分磨きは魂(霊)磨き、それが我々の今世での役割なのですから。
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